廊数のブログ

感じた事考えた事そのまま書く

ともだち

学校とか毎日会わなきゃいけない友達と関わる時に、この人たちにどう思われたいかという気持ちが心の奥にあって、それに沿った行動をしてしまうのが悩み。

昔から。いくら普通のつもりをしているつもりであっても、どこかの拍子で面白いとかおかしいとかバカにしたような言われ方をするので、そういう所を治そうとするのをやめたら本当におかしい人間になってしまった気がする。というか、自分の普通の態度が、面白くなるように誇張している気がしてならん。自分は普通の態度って思ってても、それは言い訳で、実の所面白いと言われたい気持ちが心の奥にあり、それに沿った行動になってるんじゃないかと。

今までギャルゲーが好きな子が学校にいなかったから、ギャルゲーが好きだということを話さなかったんだけど、こう思われたいという気持ちの檻から抜け出そうと思って、話さない内容であるギャルゲーの話を持ちかけてみた。萌え漫画好きな人いなかったからそういう話をしなかったんだけど、好きな萌え漫画の好きなキャラのストラップを買って携帯につけた、みんなが知らないであろう私を主張させたつもり。そういうキャラじゃないけど、気になる人いたんだっていう話もした。どんどん自己開示してみて、やっぱり違和感しかなかった!ここまで合理的に、自分の感情を分析してるつもりだったのに、分析してない感情が押し寄せる不安感というか、恥ずかしさ。で、みんなの知らないであろう自分を出す事さえもまた心の奥底に、こういう風に思われたいという気持ちがある気がして!しょうもない!

家族にもある、例えば学校で陰口を言われただとか友達とこういうノリではなしてるとかこういう友達がいるとか、自分の事の話したくないこと。とても身近だからこそ別の姿を知られたくないという理由で。仲の良い友達や学校で毎日会う友達にも同じような理由で話したくない事が沢山あって、話せないのもしんどいし、自己開示してもしんどいものがある。

自分の気持ちを、自分がこう思われたいと思う範囲内でしか表現出来ないって嫌だなあ、だから理想は2ヶ月〜6ヶ月に1回くらいあったり、ちょくちょくSNSで話したりなんだけど。その方がどういう風に思われてもいいから、ありのままの自分でいれるというか。毎日会う人には自己開示した分、そういう人間だと見られる日が毎日あるわけで、それがなんか怖い。でも毎日じゃなくてたまになら、そういう日があってもいい。でもそういう距離感って親友のように、分かり合えるっていう距離感では無い気が。

今親友だと思ってる人はいるけれど、これから私にとって親友だって思える人とか大切だって感じる人に出会えるか、そう思う人が私を私と同じくらいの気持ちで好きでいてくれるのか

そういうことばっか考えててしんどい